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大阪地方裁判所 昭和38年(ワ)1541号 判決

原告 上村マサ

右訴訟代理人弁護士 小倉武雄

同 密門光昭

右訴訟復代理人弁護士 鈴木純雄

同 小堀真澄

同 青野正勝

被告 国

右代表者法務大臣 小林武治

右指定代理人検事 小沢義彦

〈ほか一名〉

主文

被告は原告に対し金五万円及びこれに対する昭和三八年五月三日以降支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求はいずれも棄却する。

訴訟費用は三〇等分しその一を被告の、その余を原告の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一、主たる請求について

先ず治療契約が成立したかどうかについて判断する。

≪証拠省略≫によれば次の事実が認められ(る)。≪証拠判断省略≫

(一)  原告は昭和三五年五月頃大阪市北区曽根崎上一丁目五四番地所在萩家整形において医師萩家与太郎から奥目の整容を目的として両眼瞼皮下にオルガノーゲンを注入する豊瞼手術を受けたところ、間もなく両眼瞼は炎症を起こして不自然にふくれ上り、そのため両眼とも眼瞼下垂症を惹起するに至り眼瞼の開閉が不自由となった。そこで原告は早速このことを同医師に訴えたところ、細菌感染による化膿の疑いを抱いた同医師は眼瞼を切開して注入物であるオルガノーゲンを剔出しようと考え先ず左上眼瞼を外部から切開したところ、細菌感染の形跡はなかったが注入したオルガノーゲンの周囲に厚い結締組織ができており、もしオルガノーゲンを剔出しようとすると一層右の組織を刺戟してその増殖を促進する危険があると考え切開したものの注入物は取り出さずそのまま切開部分を縫合した。しかし右切開手術は左上眼瞼の外側からなされたためその切開部分に可成り大きな醜い瘢痕を残す結果となり、これに驚いた原告は右医師を見捨てて阪大病院(原告主張の所在地において被告が右病院を経営していることは当事者間に争いがない。)を訪れたこと、

(二)  原告は昭和三五年六月一一日阪大病院眼科を来訪し、同科医師久保省吾に萩家整形での経過を述べ、右眼瞼への注入物を剔出して眼瞼下垂症の治療をしてほしい旨申出た。同医師は診察の結果原告の症状を可成り重い両眼瞼下垂症と診断したが当日は何らの治療もしないまま同科医長である水川孝医師に診察と治療を依頼したこと、

(三)  原告は同年六月一六日再び同眼科を訪れ水川医長に対し従来の経過を繰返し述べたうえ、右眼瞼内の注入物剔出手術をして元通りにしてほしいこと、しかも萩家整形での切開手術は眼瞼の外側からなされたため醜い癜痕が残り大変不満であるから今度は外見上傷のつかない方法でしてもらいたい旨申出た。これに対し同医長は原告の述べるような事情の下では最初に手術をした医師に治療してもらうのが最も合理的であること、また原告の眼の症状はオルガノーゲン注入による症変ではあるが、今更これを取り出してもそれだけでは原状に復するとは限らないと一応原告の申出を断わったが、既に萩家医師に対する信頼をなくしていた原告は水川医師の説明は了解しながらもなお同病院での治療を強く希望したため結局同医長も原告の希望を容れ、眼瞼内の注入物剔出とその事後処置ならびに両眼瞼下垂症の治療を引受けるに至ったこと、以上の事実が認められる。

右事実によれば阪大病院を介して原告と被告との間に被告は同病院において善良なる管理者の注意を以て原告の眼病の治療に当る債務を負担する旨の準委任契約が成立したものというべきである。(尤もこの点につき原告はその主張のとおり請負契約が成立したとするが本件全証拠によってもこれを認めるに足りない。)

そこで被告に原告主張の債務不履行があったか否かについて検討することとするが、本件において契約に基づく給付の内容は阪大病院所属の医師が同病院において原告の眼に治療行為を施すことを目的とするものであるから、債務不履行の具体的成否はもっぱら右の治療に当った医師の行為についてこれをみなければならない。そして、

(一)  原告が昭和三五年六月一一日から同年八月二六日までの通院期間中に右水川医長の診察、治療を受けたことは当事者間に争いがないところ、≪証拠省略≫によれば次の事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

1  水川医長は原告の症状を前記久保医師と同様眼瞼下垂症(重症)と診断したうえ、同年六月二二日これが治療のため助手二名とともに原告の右眼瞼皮下に注入してあるオルガノーゲンの剔出手術を結膜側から行い、オルガノーゲンの剔出を終わるとともに、その際の所見によれば眼瞼内にはオルガノーゲン注入によりその周囲に異物反応とみられる慢性の炎症を伴った結締組織が増殖していることを認めたので、術後処置は勿論これとあわせて消炎療法としてブレドニン等の球後注射(右眼につき)、コンドロン等の内服薬の投与、患部への赤外線照射等、上記の如き患部症状に対する通常且適切と認むべき非手術療法を施した結果眼瞼の腫脹は一応とれたが、眼瞼下垂症の治療には殆ど効果がなかったこと、

2  そこで同医長は同年八月一〇日再び眼瞼下垂症の治療のため右上眼瞼皮下に原告の大腿部の皮下脂肪を移植する手術をするとともに、その後も術後の処置に加えて消炎療法を続けていたが、原告は同月二二日の治療を最後に同医長の了解もなく無断で同病院への通院を止めたこと、そして原告が右通院を止めた当時の眼瞼下垂症の状態は初診時と大差なく、異物反応とみられる炎症もおさまりかけてはいたが未だ完全には治癒していなかったこと、

以上の各事実が認められる。

右事実によれば原告の右眼の主な症状であった眼瞼下垂は初診時から存在し(しかも可成り重症)、原告が通院を止めた当時も殆ど見るべき変化はなかったが、いうまでもなく病気が治癒するまでにはある程度の時間の経過を要することは当然であるから医師が治療のためとった処置が適切であったか否かはある程度の時間をかけ、しかもその間に医師をして十分納得のいくまでの治療をなさしめたうえでないと判定し得ないというべきところ(かりにある処置が十分なものでなくとも他の方法により矯正の処置をとることも十分可能である。)右の事実によれば原告は治療半ばにして同医長の了解なく通院を止め同医長をして満足な処置を施すべき機会を奪ったのであるから、かりに原告の通院中にその症状に特にみるべき変化がなかったとしても未だ同医長のとった治療処置をとらえて相当でなかったと断定することはできない。ところで、≪証拠省略≫によれば原告が通院を止めたのは相当な額の治療費を出費して二ヶ月余り通院し治療をうけたのに期待に反し原告の症状がはかばかしく好転しなかったため失望したためと思われるがたとえそうだとしても右の結論に変わりはない。

また原告は水川医長の施した前記移植手術の結果右眼瞼が閉じられなくなり所謂兎眼症の症状を呈し、ひいてこれが原因となって角膜白斑等の症状を惹起するに至ったと主張するところ、≪証拠省略≫によると、なるほど原告の右眼は現に兎眼症、角膜白斑、陳旧性紅彩炎等の症状を呈している事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はないが、≪証拠省略≫により認められる、同病院作成保管にかかる原告のカルテにはその旨の記載がないという事実及び≪証拠省略≫によると、右症状の明確に認められるに至った時期は原告が同病院への通院をやめた後であることが推認せられるのであって、≪証拠判断省略≫のみならず、右の移植手術と兎眼症との間に因果関係を肯定するに足る的確な証拠もない。尤も≪証拠省略≫中には兎眼症は移植手術の結果惹起された旨の供述部分があるが、これは兎眼症がたまたま原告が通院をやめて後余り離れない時期に相次いで惹起されたため右の兎眼症が移植手術の結果だと思い込んだとも解されなくはないうえ、本件においては右移植手術による兎眼症発病の可能性の有無についての医学的解明は全くなされていないところ、原告が通院をやめた当時右眼瞼内の異物反応とみられる炎症は未だ完全には治癒していなかったことは前記のとおりであり、≪証拠省略≫によれば何ら適切な治療処置がなされないままかかる症状が継続した場合には結締組織の増殖の結果眼瞼を動かす筋肉に変調を来たすことも考えられるというのであり、治療半ばにして通院をやめた原告の場合はこのような事態も考えられなくもないから、医学的知識に乏しい同証人らの供述に果してどの程度の信を措きうるか甚だ疑問であるといわざるを得ない。そうだとすると原告が兎眼症等に罹患したのが同医長の適切を欠く治療行為の結果であるということはできない。

以上からすると同医長が治療上とった処置に適切を欠くものがあったということはできない。

(二)  次に医師鳥辺(旧姓背尾)房子についてみると、鳥辺医師が原告の通院中水川医長の指示によって原告に球後注射をしたことは当事者間に争いがないところ、右事実及び≪証拠省略≫によれば、原告は阪大病院眼科に通院中水川医長の指示により同科補助医であった鳥辺その他の医師から前記消炎療法として、昭和三五年七月七日、一一日、一五日、二二日、八月五日及び同月二二日の前後六回に亘り右眼にブレドニン等の球後注射をうけたが、そのうち最後の八月二二日を除いたいずれかの日に注射をうけた直後眼前が真暗になり一時右眼の視力を殆ど失ったことがあり、看護婦を通じてその旨申出ると医師から冷くしておけばそのうち回復する、心配ないとの返事があったのでそのようにしていると間もなく徐々に視力を回復し数日後には元どおりの状態に復したことが認められ(る。)≪証拠判断省略≫また≪証拠省略≫中には右注射により眼前が真暗となり、その後数日後に僅かに明暗の識別がつく程度にはなったが遂に右眼の視力はそれ以上回復せず現に失明状態である旨の供述部分があり、また≪証拠省略≫によると原告の右眼は遅くとも昭和三八年二月八日当時二〇センチメートル離れた所の物がやっと弁識できる程度の視力しか有していなかったことが認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はないが、失明というようなことは非常に重大な事柄であるからかりに医師の治療上の過誤によりこのような事態に立ち至れば患者としてはその後再び同一の病院で治療を受けるようなことはなさないのが一般であると解されるに拘らず原告においては前記のとおり問題の注射がなされた日の後においても引き続き治療は勿論同種の注射を受けていること(少くとも同年八月二二日に一回)、また≪証拠省略≫によれば同病院のカルテには原告の視力は終始初診時と大差なかった旨の記載があること、それに≪証拠省略≫によれば、原告の右眼の視力低下は専ら前記の兎眼症が長びいた結果これを原因として惹起された角膜白斑の症状のためではないかとも考えられること等に徴すると右供述はいずれもにわかに信用できない。

ところで右認定の事実経過によると原告は一時的にしろ注射の結果右眼の視力を殆ど失ったというのであるから、これが注射液の選定の誤りか注射の部位、深度等方法の誤りに起因するかはにわかに断定するに足りる証拠はないけれども、しかもなおこれをもって眼部に対する施療行為上適切を欠く処置であったことは推認するに難くないところで原告はこれにより精神的苦痛を被ったものと認められる。そして右眼の視力低下が右医師ら履行補助者を含む被告側の責めに帰すべき事由に基づかないことの立証のない本件においては、被告は自己の債務の履行補助者である右医師(それが鳥辺房子であったことを認めるに足る証拠はない。)の行為により原告が被った右の苦痛に対し、債務不履行の法理によりこれを慰藉する義務があるというべきところ慰藉料の額としては、原告の右眼の視力は当時一応は程なく原状に復していること前記認定のとおりである事情等を考慮すれば金五万円が相当であるというべきである。

よって原告の主たる請求中金五万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和三八年五月三日以降民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は相当でありその余は失当であるというべきである。

二、予備的請求について

債務不履行に関し先に判示したところによれば原告の本件予備的主張にかかる不法行為上の請求は因果関係の存在、被告被傭者の故意、過失等の要件の存在を肯認することを得ないことが明らかであるから理由がないというべきである。

三、結び

以上のとおりで原告の主たる請求は一部理由があるからこれを認容し、その余はすべて失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九二条本文、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 日野達蔵 裁判官 松井賢徳 仙波厚)

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